2009年01月21日

「派遣村」にいたのは誰だったのか?

「派遣村」にいたのは誰だったのか?

 年末年始にかけて東京・日比谷公園に突然姿を現した「年越し派遣村」。集まった約5
00人は、一部の新聞やテレビで「企業による派遣切りで職と住まいを失った人ばかり」
などと紹介されたが、その“実態”は年が明けるに連れて次第に明らかになってきた。
“村民”とは誰だったのか。そして、“村”の運営にはどのような人たちがあたったのか。
そこには、ある特定のイデオロギーを持った政治色が潜んでいたことがわかる。

 ■まじめに働こうとしていた人は…

 「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」。総務省の坂本哲志政
務官からそんな発言が出たのは仕事始めの1月5日だった。

 坂本政務官はその後、謝罪し発言を撤回しているが、「人の心を傷つけた発言は、撤回
して済むものではない」(鳩山由起夫・民主党幹事長)などと反発が出る一方で、インタ
ーネット上などでは「理解できる」「本質を突いた発言だ」という擁護論も出た。

 実際、村に集まった人たちはどのような人たちだったのか。派遣村実行委員会が、村民
354人から聞き取った集計によると、年齢層は30代が25%、40代が30%、50
代以上が35%。性別では96%が男性だった。ただ、景況悪化を理由に解雇された派遣
従業員は日雇いも含め、全体の40%にあたる130人だけ。33人(9%)は従来から
の路上生活者だった。

 また、厚労省の調査によると、滞在村民が約300人だった1月5〜7の3日間で、臨
時に設けられたハローワークに相談に来た人は約200人(66%)。具体的な就職相談
まで話が進んだ人は約120人(40%)だったという。

 極めておおざっぱに解釈すれば、4割程度の村民は景況悪化後、実際に契約を打ち切ら
れ、6〜4割程度の村民には就労意志が読み取れるが、逆に言えば、就労意志のない人、
村で出される食事だけを目当てに村民登録した人もかなりいたことになる。その点は実行
委員会も認めている。

 むろん、路上生活者であっても、寒空の下にほおっておいて良いという理屈にはならな
いが、それ以前まで派遣先でまじめに働いていた人と、そうではない人が一緒くたに報じ
られていた感は否めない。

 坂本哲志政務官の発言をめぐっても、反発する側、賛同する側の双方に一定の根拠はあ
ったといえそうだ。

 ■潜むイデオロギーと政治色

 派遣村は12月31日に開設されたが、日にちが経つにつれ、政治、イデオロギー的な
ものが色濃く出るようになっていった。

 立ち上げ当初から、目立ったのが“野党色”だ。民主党は菅直人代表代行、共産党の志
位和夫委員長、社民党の福島瑞穂党首らの姿も村で何回も見られた。国民新党、新党大地
の姿もあった。1月4日には、村民たちを前に新党大地の鈴木宗男代表が「非正規労働者
の雇用と住居の確保を求める国会決議」を提案。その場で他の野党が賛同するなど、村は
野党共闘の舞台ともなった。

 村が5日に、日比谷公園から、都内4カ所に用意された施設に移動した時には、イデオ
ロギー色がより鮮明にでる場面があった。実行委員会が企画した、村民らの日比谷公園か
ら国会までのデモの場面だ。

 デモ隊の先陣は共産党とのパイプが太い「全労連」「自治労連」の街宣車。車の屋根に
は「憲法を守ろう」のスローガンが大きく書かれている。

 霞が関周辺でよく聞く甲高い声の女性がマイクを握り「消費税値上げ反対」「総選挙で
政治を変えよう」「大企業の金儲けは許さないぞ」と、シュプレヒコールの音頭をとって
いた。デモ隊の周囲には、交通整理の警察官と、公安刑事らの姿があった。

 1月15日には、派遣村実行委員会らが主催した集会が開かれた。タイトルは「やっぱ
り必要! 派遣法抜本改正〜派遣村からの大逆襲〜」。場所は千代田区の日本教育会館。
日教組の本部が入る建物だ。約400人が集まった集会の最後は、派遣法改正に向けた「ガ
ンバロー」の大コールで盛り上がった。

 彼らの“支援”があったからこそ、派遣切り問題が大きくクローズアップされたことは
間違いないが、弱者を政治的に利用していたという側面はなかったのだろうか。

 ■派遣村の「村長」

 実行委によると、当初派遣村の開設目的は2つあった。「年末年始の生活救済」と「貧
困を可視化することで世間に問題提起する」ことだった。そのため、会場には厚労省前の
日比谷公園が意図的に選ばれたのだという。

 村の「村長」に就任したのは、NPO法人「自立生活サポートセンターもやい」の湯浅
誠・事務局長。

 昭和44年生まれの湯浅さんは東京大学法学部で日本政治思想史を専攻。大学院まで進
学した経歴を持ち、「大学院1年生の時、野宿者向けに友人がやっている炊き出しを見に
行ったのが貧困問題とかかわるきっかけになった」と話す。

 平成13年に「もやい」を立ち上げ、困窮者の生活支援や生活保護申請の支援をしてお
り、講演料や著書による印税が収入という。昨年、『反貧困−「すべり台社会」からの脱
出』(岩波新書)では大佛次郎論壇賞を受賞している。

 派遣村の構想自体は、12月上旬に労働問題を専門にする労働弁護団から提唱されたよ
うだ。労働組合のナショナルセンターである連合、全労連、全労協も足並みをそろえて支
援メンバーに加わった。他に、非正規労働者の支援活動で実績のある「派遣ユニオン」「首
都圏青年ユニオン」「反貧困ネットワーク」など15団体ほどが実行委員会に加わった。

 駆けつけたボランティアは実数で1674人。トイレ掃除、炊き出し、食料買い出し、
清掃などを一部の村民も混じって行ない、村を支えた。

 「自分は発案者ではなかった。でも、組合系は炊き出しなどをやったことがない。
現場経験がある自分が村長の役回りになった」と話す湯浅さん。運営関係者によれば、
「さまざまな労働団体とつきあいがあるため、村長という御輿に担ぎ上げられたのではな
いか」という。

 多くの野宿者らと接してきた経験を持つ湯浅さんは「いったん雇用を失うと、すべり台
を落ちるように再貧困にまで転落するのが日本の社会」「日本では自己責任論が幅をきか
せすぎている。がんばりすぎる前に、支援事業にアクセスすべきだ」と主張している。

 ■厚労省開放

 運動の1つの山が、2日夜に厚生労働省の講堂が宿泊場所として開放された時だ。
実行委員会の用意したテントの宿泊能力は150人分。村には300近い人が集まっていた。

 決断したのは厚労省の大村秀章副大臣(自民)。湯浅事務局長とは労働問題をテーマに
したNHKの番組で名刺交換していた。2日昼過ぎ、湯浅事務局長から入った「テントに
入りきらず病人も出ている。受け入れ施設を用意してほしい」という電話に、「直感的に
ヤバイと思った。あの現場をみたら助けないわけにはいかないだろう」と振り返る。

 開放できる施設がないか、千代田区長にも電話を入れるが断られ、厚労省幹部も危機感
を抱いていた。村を訪れた野党政治家らも河村建夫官房長官や舛添要一厚労省に電話を入
れ支援を求めたため、午後5時過ぎ、「講堂に暖房を入れろ!」と大村副大臣が指示。
9時過ぎには260人の村民が講堂に入った。

 ある厚労省幹部は「目の前の日比谷公園で、失業者が凍え死んだとなれば批判を浴びる
どころか、内閣が吹っ飛んだかもしれない」と振り返る。

 実行委側が、会場にあえて日比谷公園を選んだ作戦が成功したわけだ。

 ■厳しい世間の反応

 だが、派遣村の村民たちに対する世間の目は、同情や理解ばかりではなかった。
政党やイデオロギー色が強くなるにつれて、反発や厳しい意見が目立つようになってきた。

 産経新聞のネットニュースMSN産経ニュースで、10日から派遣村に関する意見を募
集したところ、9割方が村民に対して厳しい意見を寄せた。

 「貯金はしていなかったのか」「職の紹介を受けているのに、選り好みしている場合か」
「ゴネ得ではないか」…。「最初は同情していたけど、だんだんできなくなった」という
声もあった。

 坂本政務官の発言に理解を寄せる声も多く届いた。これについては12日の東京新聞で、
同紙の投書欄担当者が「非難が相次ぐ一方で、一定の支持が集まった」と書いている。
各新聞社とも、似たような読者反響を得たのだろう。

 その後、村民らは東京都が用意した都内4カ所の施設を出て、その後は実行委員会が用
意した都内2カ所の旅館を拠点にしながら、生活の再建準備を進めている。宿泊費などは
全国から集まった約4300万円のカンパや、すでに生活保護支給が決まった人はそこか
ら拠出されている。

 都の施設を出た12日の時点で、村民は約170人。日比谷公園を出たときには約30
0人いたため、130人が巣立っていったことになる。この300人のうち、生活保護の
受給が決まった人はこれまでに290人。申請者のほぼ全員に、しかも短期間に生活保護
が認められるのは異例なことだ。実行委員会では「やる気になれば、今の法律の枠内で、
生活再建の足がかりを得られることが分かったことは大きな成果」と意義を強調。

 民主党の菅代表代行も「後世から見れば、派遣村が日本の雇用、労働問題の転機になっ
たと言われることは間違いない」と話すが、全国にはなかなか生活保護が認められない人
や、特に地方で派遣切りにあった人の中には、日比谷公園までやって来れなかった人もた
くさんいる。生活保護は、私たちの税金から拠出されているのである。

 実行委では今後、全国各地に派遣村をつくり、放り出された人たちを支援していきたい
考えだ。すでに、ノウハウの提供などを求める声が寄せられているという。

 だが、厳しい意見もあることを意識してか、15日の集会では名誉村長の宇都宮健児弁
護士が、こんな言葉を漏らしている。「活動が広がるか。それは1人1人の村民のこれか
らにかかっている」。


(コメント)
参考・説明資料として保存します。
posted by 弱者 at 00:15| ニュース等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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